根源的な魂の闇を描くために
为了描写根源性的灵魂的黑暗
質問:
おはようございます。1989年6月25日発行の「ユリイカ」臨時増刊号で、柴田元幸さんのインタビュで、「僕がやりたいのは、どろっとした情念を取り去ったあとになおも残る、根源的な魂のみたいなものを描くことなんじゃないかと思う」と仰ってます。この感覚は仏教の一切皆苦に通じるところがあるのでは、と思いますが、いかがでしょうか?前から気になっていて、いつか聞いてみたいと思っていました。
早上好。在1989年6月25日发行的「ユリイカ」临时增刊号里,在柴田元幸先生的访问里,您说到「我想做的事情是,描写把粘稠的感情去掉以后仍然剩下的,类似根源性的灵魂的东西」。我认为这种感觉与佛教的一切皆苦有相通的地方,怎么样呢?以前就有点在意,想着什么时候可以向您询问。
回答:
あまり一般教養がないので、仏教の「一切皆苦」って意味がよくわからないんですが、僕は昔から「どろどろしたもの」がどうも苦手でした。でも日本の純文学って、その「どろどろしたもの」を描かなくてはならないみたいにずっと思われていて、僕はそういうのにどうしても馴染めませんでした。そんなことをしなくても、人の魂も深く暗いところはきっと描けるはずだと強く信じていました。
それで35年くらいその方法をずっと模索してきました。少しずつやり方をつかみつつあるように、自分では感じているのですが(もちろんそうは思わない方もたくさんいらっしゃると思いますが)。
因为极其欠缺普通教育,所以不能很好理解佛教的「一切皆苦」的意味,不过我以前对「粘稠的东西」就非常不擅长。可说到日本的纯文学,好像不描写这个「粘稠的东西」就不行,我对这种事无论如何也无法融合。我强烈相信即便不做这件事情,也定然可以描写人的灵魂的深层黑暗的地方。
于是将近35年一直在摸索这个方法。虽然我感觉自己在一点点地掌握方法(不过我想也有很多人不是这样认为的)。