勇気って、人にもらうものなの?
勇气,能从别人那里获得吗?
質問:
最近テレビなどで「勇気をもらう」という表現をよく耳にします。私は、この表現を聞くと、ついテレビにむかって「勇気はひとにもらうものじゃないでしょ、自分の中なら湧くんでしょ」などと、声を出して突っ込んでしまっていました。しかし、よくよく考え、「勇気をもらった」という表現が一般的になったという事は、私にはピンと来ないけれども、多くの人が勇気をあげたり、もたったりしてると感じるということなのではないか、と考えるようになりました。
村上さんは、小説を書くことによって、勇気をあげたり、又はもらったりという感覚をもっておられますか?
最近在电视等地方经常听到「获得勇气」这样的表达。我听到这种表现,就会不知不觉地对着电视大声地冲着说「勇气不是在别人身上获得的,而是从自己的内心里涌出来的」。但是,仔细地想想,「获得勇气」这样的表达变成一般化,虽然我是理解不了的,不过不也感觉到自己向很多的人给予勇气,或者从他们身上获得勇气吗,我是这样想的。
村上先生,从写小说的角度,对给予勇气,或者是获得勇气是怎样感觉的呢?
回答:
そうですね。たしかにちょっと気になる言葉ですね。僕もあまり好きではありません。そんなに簡単に勇気をもらったり、あがたりするものじゃないですよね。勇気というのは力を振り絞まって、奥の方から引き出してくるものですよね。あるときには命がけで、簡単にもらったものなら、「ちょっとそのへんにおいて置こうか」みたいなことになりかねません。
あと僕は、映画とか本とかの宣伝で、「涙が止まりませんでした」みたいな惹句が多すぎるのも気になります。昔はそんなになかったと思うんだけど、最近はなにしろ多いですよね。泣きゃあいいってもんでもないだろ、みたいに思うことが多いです。
人々はそんなに「感動」に飢えているのでしょうか?泣くのと感動するのとは、ちょっと違うような気もしますが。
这样啊。确实是让人在意的话。我是不太喜欢的。获得勇气,或者给予勇气都不是那么简单的事情。所谓的勇气是需要竭尽全力,从内心深处的地方引领出来的东西。有时候要豁出性命。如果能这么简单获得的话,就很可能会变成像「暂且先放在那边吧」这样的事情。
还有,我对电影或者书的宣传,太多类似「泪流不止」这样吸引人眼球的话也会在意。以前觉得并没有这样的东西,不过不管怎样最近是多了起来了。经常觉得像是哭出来也是挺好的样子。人们对「感动」是如此地渴望吗?哭与感动,总觉得是稍微有些不一样的。