村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 《フラニーとズーイ》非常有趣」

2016年10月29日

注:村上春树曾把这两本书翻译成日文1)「フラニーとズーイ」是J.D.Salinger的《Franny and Zooey》,中文翻译为《弗兰妮与祖伊》; 2)「キャッチャー~」是J.D.Salinger的《The Catcher in the Rye》, 中文翻译为《麦田里的守望者》

質問:

こんにちは。埼玉県に住む男です。私は読書がすきなのですが、和訳本を読むのが少し苦手です。というのも、文法構造の違いなどに起因すると思われる、妙に回りくどく角張ったような和訳に出会うことが多く、なかなか馴染めないからです。

您好!我是在埼玉县居住的男生。我非常地喜欢读书,不过不太擅长阅读英译日的书。在这之中,我想很可能是语法构造的差异而造成,经常会碰到很多奇怪得生硬的,啰嗦的这样的英译日,非常难以适应。

村上さんは、これまでに多くの作品の和訳にも携わっていらっしゃいますが、和訳の際に大切にしている決める事のようなものがあれば、教えてください。また、これまでに一番和訳に悩んだ英語表現についても、その表現が使われた作品と併せて教えていただければ嬉しいです。

村上先生至今为止参与了很多作品的英译日的翻译,在英译日的时候,若有最重要的,起决定性的东西,还请告知。另外,至今为止在英译日里最让人苦恼的英文表现形式,以及使用了该表现形式的作品,若是能一并告知的话,会非常的高兴。

回答:

翻訳された海外の小説は、どうしても文章が「普通の日本語の文章」とは少しずれたところに落ち着いてしまいます。地の文章もそうですし、会話もそうです。出来るだけ普通の日本語に近づけようとしますが、やはり超えられない一線みたいなのがあるようです。原文に忠実にあろうとすると、どうしてもそうなってしまいます。「だから海外の小説は読まないんだ」という方も多くおあれると思います。

翻译过来的海外的小说,无论如何,文章多少会与「普通的日本语的文章」的落脚点有偏离的地方。实际的文章是如此,会话也是如此。虽然尽量接近普通的日本语,可总是有那么一条超越不了的界线存在。本想忠于原文的,可无论如何也只能做到这样。我想「所以不能阅读海外的小说」这样的人是有很多的。

でも僕はそのような「ずれ」の中に、けっこう大きなポテンシャルが潜んでいるのではないかと思うんです。そういう「ずれ」が、逆に日本語に新しい可能性ようなものを与えているのではないかと。ですから、そういう意味で、僕にとってとても良い勉強になっています。

不过我想在那个所谓的「偏离」里面,不就是隐藏着相当大的可能性吗。那种「偏离」,不就是可以赋予与日本语相反的新的可能性之类的东西吗。所以,那种意义,对我来说,是非常好的一次学习。

僕が苦労した翻訳はたくさんありますが、一番大変だったのは去年の三月に出したサリンジャーの「フラニーとズーイ」です。サリンジャーの練りに練られた、凝った強固な文体を日本語に置き換えていくのは、実に至難の業でした。サリンジャーが「キャッチャー~」を乗り越えるために、どれくらい念入りに自分の文体を再構築していったか、訳しているとそれがひしひしとわかります。まさに力業です。訳すのはむずかしかった。でも面白かったなあ。

我认为的辛苦的翻译是有很多的,最难的莫过于去年3月份出版的サリンジャー的「フラニーとズーイ」。要把サリンジャー那洗练的,凝炼坚固的文体置换成日本语,确实是极困难的一项工作。サリンジャー为了超越「キャッチャー~」,对自己的文体做了如何多的细致周密的重新构筑,在翻译的时候,对此是深有体会。确实是体力工作。翻译的时候是困难的。不过也是有趣的呢。