村上春树-《村上さんのところ》

翻译 | 《村上さんのところ – 音乐与文章 直感与思索》

2017年5月17日

音楽と文章 直感と思索

音乐与文章 直感与思索

質問:

私は村上さんの小説と同じくらい、村上さんの音楽に関する文章がすきで愛読している者です。

私は昔から音楽に関する書物が好きで、評論や音楽家の伝記など手当たり次第に読みふけってしまう時期さえありました。ところがある時、私よりはるかに音楽をよく聴く友人に「それはお前が自分の耳に自信が無いから、活字で補おうとしてるだけやないのだ?」と言われ、そうかなあとおもいつつなんとなく釈然としないまま反論もできませんでした。

とはいうものの、いい音楽を聴くとそれを文章で表現したいと思うこと、あるいは逆に(村上さんの音楽エッセイのように)音楽について書かれたすぐ聴いてみたいと思うこと、というのはごく自然な事のようにも思うのですが、村上さんは音楽と言葉のかかわりについてどのようにお考えでしょか。我是因为喜欢与村上先生的小说同样的村上先生关于音乐的文章而爱读的人。

我从以前开始就喜欢与音乐相关的书物,也曾有过评论或音乐家的传记等随意地专注阅读的时期。但是那个时候,被比我经常听音乐的朋友说「那是因为你对自己的耳朵没有自信,只能通过文字来弥补」,虽然想是这样吗可心里却无法释然,也不能反驳。

尽管如此,听了好听的音乐然后想通过文章来表现,或者反过来(就像村上先生的音乐随笔一样)看了有关音乐的文章然后马上想去听,我觉得这是非常自然的事情,村上先生对于音乐与语言的关系是如何思考的?

回答:

僕は素晴らしい音楽を聴いたら、その素晴らしさをなんとか文章のかたちに置き換えてみたいといつも思います。それはとても自然な欲求なのです。そしてその文章を誰かが読んで、「ああ、この音楽を聴いてみたいな」と思ってくれたら、それに勝る喜びはありません。でも音楽を文章で表すのって、ずいぶん難しいです。僕はそれを自分にとっての大事な文章修行だとみなしています。

音楽を聴くことと、音楽についての文章を読むことは、お互いを助け合う行為だろうと僕は考えていますが。直感と思索は、互いを支えあうべきものなのです。

我在听了绝妙的音乐之后,就总是想设法把这个绝妙置换成文章的形式。这是非常自然的欲求。谁读了这篇文章,要是想着「啊,想听这个音乐呢」,在这里并没有胜利的喜悦。但是用文章来表达音乐,是相当困难的。我把它视为对自己而言重要的文章修行。

听音乐,与阅读有关音乐的文章,我认为是彼此互相帮忙的行为。直感与思索,本就是相互支持的。