村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 接受亲近的人死亡的方法」

2016年11月5日

身近な人の死の受け止め方
接受亲近的人死亡的方法

質問:
大学生の頃から村上さんのファンでほとんどの著書はよませていただいてます。
いつも村上さんの本を読むと、答えは出ないけどとにかくよく考えるようになるのです。
大抵の村上さんの著書でよく考えるのが死についてです。御嶽山の噴火で親しい友を亡くしました。兄も父も以前事故で突然亡くしました。死についての村上さんの考えを聞きたいです。
よくその人の分まで幸せに、精一杯生きろと言われますけど、その人がいたことの幸せが失われた中でどう受け止めていいのかわかりません。自分で見つけて自分で歩んでいくしかないと思うのですが、それはその人を忘れることになりそうで怖いです。人間でエゴイストで残酷でそうするしかないのでしょうか。
我从大学生的时候开始成为村上先生的粉丝,大部分的著作都读过了。
一直在读村上先生的书,虽然没有答案,不过变得会认真思考了。
村上先生大部分的著作都在思考关于死亡的事情。与我非常亲近的朋友因为御嶽山的火山喷火而死亡。哥哥和父亲以前也是因为事故而突然离去的。关于死亡,想听听村上先生的看法。
虽然被告知说要好好地竭尽全力,幸福地活出那个人的份儿,可因那个人的存在而有的幸福却在消失当中,我不知道该如何接受。虽然想着只能按照自己的判断而一个人向前走,可恐怖的是这就变得会把那个人给忘记了。人类的利己, 残酷,是不是也是没有办法的呢。

回答:
とてもお気の毒です。親しい方を事故で亡くされると、自分という存在から何かが急激にもぎ取られてしまったような気がします。なかなかそれを受け入れることができません。気持ちの中に空洞ができてしまいます。僕にもそういう経験があります。僕があなたにアドバイスできることはほとんど何もないのですが、もしあなたの中に空洞があるのなら、その空洞をできるでけそのままに保存しておくというのも、大事なことではないかと思います。無理にその空洞を埋める必要はないのではないかと。これからあなたがご自分の人生を生きて、いろんなことを体験し、素敵な音楽を聴いたり、優れた本を読んでいるうちに、その空洞は自然に、少しずつ違うかたちをとっていくことになるかと思います。人が生きていくというのはそういうことなのだろうと、僕は考えているのですが。

真的是非常地令人悲伤。亲近的人因为事故而死亡,心里会觉得要从自身的存在看有什么能被剧烈地揪下来的东西。要接受那样的事情是不可能的。心里面出现了空洞。我也曾有过这样的经历。我基本上没有能给到你的建议,不过如果你的心里面出现了空洞,尽可能地让那个空洞维持原样保存下来,我想也是挺重要的。没有必要设法去填补那个空洞。从此以后你过自己的人生,在体验各种各样的事情,听非常棒的音乐,读优秀的书籍的过程中,那个空洞会自然地,一点一点地,变得能形成不同的形状。人活着大概就是这么一回事吧,这是我的看法。