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文|「来自《古都》的京都腔」

2021年4月17日

读完川端康成的《千羽鶴》,便又想重温一遍《古都》(这两本书没什么关联,只是想起了)。第一次看《古都》是19年,当时还想,下回去京都要带上这本书才好,一晃,又两年了。

京都是我心中的一个“遥远的地方”。不是因为它是一个“谜”,而是经过了千多年的历史积淀,它的厚重和坦然使人安心。哪怕世间变化多么大,到了京都,仍旧能寻到自己想要寻到的旧时的记忆。无论是建筑,道路,名字,河流,气息,乃至于四季的氛围,京都予人的奇妙感,如同从读到的文字里梦醒一般,不由得回忆一遍又一遍。

这回不写京都,只想引用文章记录一下京都腔的用法。虽然接触不多,可从仅有的认识看来,京都腔和大阪腔还是有所区别的。京都腔是这本书的特色。

以下段落按出现顺序记录,不可能囊括出现的所有,不过是选取了一些有代表性的,私心来说,好些段落也是自己喜欢的。其实,只要搜索一下,也能找到许多关于京都腔的文章或列表,只是结合文章来看的话,印象会更加深刻。


*

「いいけど、今晩大雨が降って、散ってしまっても、僕は知らんで。」

「落花の風情を見ますもん。」

雨にたたかれて落ちよごれた花が、落花の風情なの?落花と云うのはね……。」

いけずやわ。」

这是千重子和水木真一在平安神宫里的一段对话。「いけず」是「意地悪」,意为讨厌,用于表达厌恶情绪。


*

「さいなら。」と、苗子は三たび言った。

「さいなら。」と、千重子も言った。

这是苗子和千重子在祇園祭初次见面/相认后再见的场景。「さいなら」是「さようなら(再见)」。


*

千重子はひきしまった顔になって。

「秀男さん、あの時、お話おしやしたのは、あたしのきょうだいどす。」

「…………」

「きょうだいどす。」

千重子在秀男面前吐露她与苗子是姐妹的事。「どす」是「です」。这个「どす」的发音很可爱,每次我读到它的时候,都忍不住自言自语几声「どす」、「どす」。


*

「その子に、秀男さんの帯を一本あげとくれやす。」

「へえ。」

「あげとくれやす。」

千重子拜托秀男也给苗子织一条腰带。「…とくれやす」是「…てください」。


*

「それは苗子さんの、心にひそんだ厭世やないの?」

「あたし、厭世なんて、だいきらいどす。毎日、楽しい、楽しい、働かしてもろて……。そやけど、人間で…..。」

千重子和苗子的一段对话。「そやけど」是「でも」。


*

「苗子さん、ほんまにおおきに。」と、重ねて言った。「お母さんのおなかの中でも、苗子さんに、こないしてもろてたんやろか。」

「そんな、押し合うたり、けり合うありしてたんと、ちがいまっしゃろか。」

「そうやな」。と、千重子は肉親じみた声で笑った。

苗子帮千重子挡雨。千重子十分感激,感觉像在妈妈的肚子里被苗子抱着一般。「おおきに」相当于「ありがとうございます」。「おおきに」真是简洁又好听。


*

「太吉郎は、しばらく来ないあいだに、南禅寺の前中の大通りの家が、多く料理旅館になってしまっているのに、おどろいた後だった。なかには、建て直して、大きい団体宿になって、地方の学生が、騒がしく出入りしているのもあった。

うちは、よさそやけと、あかん。」と、太吉郎は荻の家の門で、つぶやいた。

「うち」、「あたし」相当于「わたし(私)」。「あかん」、「あきまへん」相当于「だめ」。


*

「えらい、失礼なとこで、かんにんしとくれやっしゃ。」と、苗子が言った。娘だから、早く帯が見たい。

「きれいな杉山どすな。」と、秀男は山を見上げながら、木綿ぼろしを解き、たとう紙こよりをほどいた。

秀男把织好的腰带给苗子带过去了。苗子心急,想早点看到腰带。

「かんにんしとくれやす」是「ごめんなさい」。


*

千重子は、苗子が耳を澄ますのに、

「しぐれ?みぞれ?みぞれまじりの、しぐれ?」と聞いて、自分も動きをとめた。

「そうかしらん、淡雪やおへんの?」

「雪……?」

「静どすもん。雪いうほどの、雪やのうて、ほんまに、こまかい淡雪。」

「ふうん。」

苗子与千重子共度的一晚。整段描述都非常动人,这是一小节。「ほんまに」相当于「ほんとに」。


更多京都腔的用法,可参考——

http://www.k-marumie.com/kyoto/dialect/

https://www.jrtours.co.jp/plan/kyoto/guide/20210120.html

https://www.plus1-one.co.jp/wa/events/kyokotoba40/