村上春树-《村上さんのところ》

翻译 |《村上さんのところ》- 纯粹的写作

2017年5月2日

海外翻訳を前提に書いていませんか?
是以海外翻译为前提而写的吗?

質問:

「村上春樹は自作が他言語に翻訳されることを前提として作品を書いている」と論じられていることがしばしばあります。これはどの程度当てはありますか。差し支えなければぜひお聞かせいただきたいです。

偶尔有议论说「村上春树是以自己的作品能被翻译成其他语言为前提而写作品的」。有多大的程度是以这个为目的?若方便的话请一定要告知。

回答:

正直に申し上げまして、僕にはそんな器用な小説の書き方はとてもできません。小説を書くときは本当にぎりぎりのところで書いているのです。「こうすれば翻訳しやすいだろう」みたいな余分なことを考えるゆとりはとてもありません。手持ちの日本語の文体をフルに使って、頭に浮かぶ物語を追っていくことで精一杯です。それに大体翻訳されるようになる以前から、僕派ずっとこういう文体でこういう作品を書いてきました。「村上春樹は自作が他言語に翻訳されることを前提として作品を書いている」というのは「言いがかり」とまではいいませんが、ただの根拠のない推測です。そんなことなら誰だって好きに言えます。根拠を示して論証しなくていいんだから簡単ですよね。しかしそういうものをもとに「風説」みたいなものが勝手に作られていくのって、あまり気持ちの良いことではないですね。
そういう論が世間にあることについて、あなたはどう考えますか?僕としてはむしろそれを知りたいのですが。

坦白说,我尤其不擅长那种巧妙小说的写作方法。写小说的时候真的是极尽所能去写的。根本没有空闲去思考「这样写会更容易被翻译吧」这种多余的事情。最大限度地使用手头上的日本语文体,尽全力去追赶头脑里浮现的故事。这个大概在能被翻译之前以来,我一直都是用这样的文体写这样的作品。虽然不能说「村上春树是以自己的作品能被翻译成其他语言为前提而写作品的」是「在找茬」,但这只是毫无根据的推测而已。这种东西任谁都可以随喜欢而说的。正因为不需要出示根据不需要论证所以挺简单的。但是以这种东西为基础任意地制造像「谣言」一样的东西,丝毫不是心情畅快的事情。

关于世间存在这种议论,你是怎么思考的呢?作为我不如说更想知道这个。