村上春树-《村上さんのところ》

翻译 |《村上さんのところ》- 故事的灵感

2017年4月6日

物語のインスピレーション
故事的灵感

質問:

何らかのインスピレーションを得て「こういうものを書こう」と決めた後に、物語のディテールについての取材をしていて、インスピレーションが色褪せてしまったり、当初のアイデアが変わってしまうことはありますか?

在获得某些灵感而决定「写这个吧」之后,进行关于故事细节的取材后,会有灵感褪色,或者改变当初想法的事情吗?

問題:

インスピレーションというようなものは、僕の場合あまりまりません。ただ出だしのシーンが頭の中に鮮明に浮かんできて、それがするすると延びていくだけです。物語のディテールについて取材をすることもありません。ディテールはだいたい自分の力で満たしていきます。取材や調査をしていると、スピードが鈍るから。物語の本来的なスピードを出来るだけ殺さないこと、その力を削がないこと、それが大事になります。ディテールはあとから書き直せばいいわけですから。

たとえば「ねじまき鳥クロニクル」であれば、主人公が昼ご飯のためにスバゲティーを茹でているときに、電話のベルが鳴ります。そのシーンだけがまず頭の中にあります。電話は誰からかかってきたのだろう?スバゲティーはどうなるのだろう?そこから話が始まります。そういう鮮やかなファーストシーンがひとつあれば、それでオーケーなのです。とても平凡な情景です。これはインスピレーションとも呼べませんよね。

ところで僕が「ねじまき鳥クロニクル」を発表したとき、ある批評家に「リアルさを欠いた小説だ。日本の男は昼食に一人でスパゲティーをつくったりはしない」といった批判を受けました。

へえ、とびっくりしたことを覚えています。僕は昼ご飯によくスパゲティーをつくっていたんだけど。ぶつぶつ。

灵感这样的东西,在我的情况是没有的。仅仅只是在头脑里鲜明地浮现出开头的场景,然后顺当地延伸下去。也不做关于故事细节的取材。细节基本上是由自己的力量来充盈的。因为进行取材或调查的话,速度就变钝了。不抹杀故事本来的完成速度,不削弱那股力量,这是很重要的。因为细节可以在之后重写。

例如在《奇鸟行状录》里,主人公为吃午饭而煮意大利面的时候,电话铃声响了。只是这个场景首先出现在头脑里。电话是谁打来的呢?意大利面要怎么样呢?从那里故事开始了。只要有一个如此新鲜的第一个镜头,那就可以了。非常平凡的情景。这个也称为灵感吧。

但是我发表《奇鸟行状录》的时候,接受了某位批评家的批评「这是欠缺现实的小说。日本的男生没有人做意大利面当午饭的」。

诶,我非常吃惊。我是经常做意大利面当午饭的啊。小声嘟囔。