村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 静静的视线」

2016年12月15日

不倫を肯定的に描いていませんか

是在肯定地描写不伦吗?

質問:

私は村上さんの全ての作品を読ませていただいてます。何度も読み返している作品も多数あります。とても楽しませてもらい、いつも感謝しております。あいがとうございます。

ただ以前から一つ気になっているのが、不倫を肯定的に描かれている様に思うことです。それは作品を面白くするためなのか、それとも村上さんの何か信念のようなものなのかが知りたいです。私個人としてはどうしても肯定的に捉えることができないので(全ての不倫を否定する訳ではありませんが、どうしても裏切り行為と見えてしまうためです)、何かしっくりこない違和感が残ります。

もし肯定されるのなら、その理由をお聞かせいただければと思います。

末筆ですが、お体を大切にしていただき、これからもたくさんの作品をお待ちしてます。

我阅读了村上先生的全部的作品。反复阅读多次的作品也有很多。非常快乐,一直以来非常地感谢。谢谢。

不过从以前开始就有一个在意的地方,我认为是在肯定地描写不伦的样子。想知道那个是为了让作品有趣呢,还是属于村上先生的什么信念之类的东西。因为我个人无论如何都不能肯定地掌握(虽然没有理由去完全否定不伦,只是无论如何都能看到背叛行为),总觉得剩下了无法相容的感觉。

如果是肯定的话,我想听听理由。

顺祝,珍惜身体。今后也会等着看更多的作品。

回答:

そうですか、そんなに不倫のことをたくさん書いていましたっけね。思い出せません。とくに意識して書いたことはないんですが。

ご理解いただきたいのですが、僕は別に不倫を肯定してるわけではありません。ただ人の心というのは、うまく制度に沿って動くとは限らないものです。そこからはみ出してしまう心の動きもあります。そこにあるいろんな現実をいろんな側面から描くというのは、小説のひとつの本来の機能であって、肯定する否定するというのはまた別の問題になります。「ボバリ—夫人」においてフロベールは、「赤と黒」においてスタンダールは不倫行為を鮮やかに描いています。それらの当事者はおおぬね悲劇的な結末を迎えますが、その著者たちは決して不倫行為を批判しているわけではありません。否定も肯定もしていません。ただ静かな(そして憐れみを込めた)視線でその運命をみつめているだけです。小説というのはもともとそういうものなのです。ご理解ください。

这样啊,并没有在写很多不伦的东西。想不起来。没有特别有意识地去写。

还请理解,我并不是在肯定不伦。只是人的心,不只是顺畅地沿着制度行动的。也能从那里找到心的振动。在那里描写存在的各种现实的各种侧面,是小说一个本来的机能,肯定或者否定又是别的问题了。福罗拜在《包法利夫人》,司汤达在《红与黑》都鲜明地描写了不伦行为。虽然那些当事人大多迎来了悲剧性的结果,不过也不能说作者们一定在批判不伦行为。没有否定也没有肯定。只是以静静的(而且包括可怜在内)视线凝视着那个命运而已。小说原本就是这样的事情。还请理解。