村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 第一人称」

2016年11月29日

「僕」のなかに「俺」混入の謎
「僕」里混入「俺」的谜

PS:
在日语里面,「僕」与「俺」是男生用来表示“我”的用法,「僕」相对来说较礼貌,也是比较自谦的用法;而「俺」相对听起来有点傲慢的意思,吵架或者是教训别人的时候,可能会用到。在村上春树的所有回答里都是用「僕」来表示“我”。
而「私」是女生用来表示“我”的用法。男生与女生的用法必须是区分开的。

質問:

今、私は大学3年生で、卒業論文で「村上春樹さんの作品をおける人称の変化」です。
村上さんの作品はある時期から、語りを一人称から三人称へ転換していることに気づき、雑誌のインタビュー記事などを読んで、転換させた理由も理解しました。
ただ、人称について謎が解けないことが一つあります。「色彩をまたない多崎てくると、彼の巡礼の年」では、語りは三人称をとっていますが、つくるの一人称は「僕」となっています。しかし、何ヵ所か会話の際に「俺」と言っているところがあると思うんですが、それは何故なのでしょうか。
今まで「僕」(あるいは「私」)で統一してきたのに、「僕」と「俺」が混同しているのは初めて拝見しました。お答えいただけるうれしいです。

现在,我是大学三年级的学生,毕业论文是《村上春树先生的作品的人称变化》。
注意到村上先生的作品从某个时期开始,从第一人称的叙述转换到第三人称,读了杂志的访谈报道之类的,也理解了转换的理由。
只是,有一个关于人称的解不开的迷。在《没有色彩的多崎作的巡礼之年》里,虽然用了第三人称的叙述,不过多崎作的第一人称变成「僕」。但是,感觉有些地方的会话会说「俺」,这是为什么呢?
至今,「僕」(或者「私」)要统一起来了,不过这是第一次看到「僕」和「俺」混为一谈。期待您的回答。

回答:

「僕」と「俺」「おれ」はもちろん意図的に、微妙に使い分けています。そう思って読んでくれますか?人称というのは僕にとってはかなり大事な問題で、いつもそのことを意識しています。僕の場合、一人称から三人称へという長期的な流れははっきりしているんだけと、そろそろまた一人称に戻ってみようかなということを考えています。一人称の新しい可能性を試してみるというか。もちろんどうなるかはわかりません。

「僕」和「俺」和「おれ」当然是有意识地,微妙地区分着使用。能不能这样想着来阅读呢?因为人称对我来说是相当重要的问题,一直以来都是有意识地使用。我的情况,虽然清楚从第一人称到第三人称经过了长期的过程,不过也想着差不过可以试着回归到第一人称了。去尝试第一人称的新的可能性。当然不知道会变成什么样。