村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 要推敲到什么程度呢?」

2016年11月25日

どのくらい推敲するのでしょうか?
要推敲到什么程度呢?

質問:

子どもの頃、下宿生活をする年の離れた兄が、溜まったかカセット テープや本を実家に持って帰ってくるのが楽しみで、その中に、先生の「回転木馬のデッド・ヒート」がありまして、それを読んだのが、村上作品に触れた初めてでした。子ども心ながらに、強く惹かれました。その後、様々な距離の置き方をしながら、多数の作品を読ませていただきました。結果、どうしても、読みやすいのは村上作品です。いろいろな文家もいらっしゃいますが、体感的に、村上作品は、その文自体がとてもよみやすいのです。

先天的センスの問題もあるかもしれませんが、私の勝手に考えたこととして、もしかすると、ものすごく推敲をなさっているのかとおもいました。もちろん、かなりの推敲をするとは思うのですが、先生はすらりと文を書けるのでしょうか。それとも、素朴(粗野?)なもととなる文があって、それを精錬させていくのでしょうか。
なんともセンスのないもとまりのない文面で恐縮ですが、この歳で、のらりくらりと新人賞に応募している者です。

もしもご返答いただきましたなら、糧にいたします。

还是小孩的时候,会期盼着与我有些年龄差且过着寄宿生活的哥哥,把积存的卡式录音带或者书带回家,在那里面,有老师的「旋転木馬鏖戦記」(繁体译名),读了那本书,是我与村上作品的第一次接触。小孩子的心被强烈地吸引。从那之后,在保持着各种各样的距离的同时,也读了很多的作品。结果,无论如何,最好读的还是村上作品。虽然有各种各样的文学家,不过按身体感受来说,村上作品,那种文体本身是非常好读的。

也许会有先天审美的问题,不过容我随意地思考的话,或许,我想是做了非常多的推敲。当然,虽然觉得做了相当多的推敲,不过老师也写得非常流畅。还是说,本是有素朴(粗野?)的文章,后来把它精炼而成的。

我写的实在是没有审美感且漫无条理的文章,很过意不去。我是一位在这个年纪,游手好闲应征新人奖的人。

如果能给予回复的话,受用不尽。

回答:

推敲は僕の最大の趣味です。

やっていて、こんな楽しいことはありません。推敲ができるから、小説が書いているようなものです。最初はだいたい流れのままにさっと書いてしまって、あとからしっかり手を入れていきます。最初からみっちり書いていこうとすると、流れに乗ることがむずかしくなるので。
推敲にとってもっとも大事なのは、親切心です。読者に対する親切心(サービス心ではなく親切心です)。それを失ったら、小説を書く意味なんてないんじゃないかと僕は思っているのですが。

推敲是我最大的乐趣。

做了之后,发现没有比这更快乐的事情。能做到推敲,就好像能把小说写成一样。最开始大概是随着意识流迅速地写出来,之后进行扎实的修改。因为一开始就踏踏实实地写的话,乘着意识流就变得很困难。

对于推敲来说,最重要的东西是,热心。对读者的热心(不是服务的心而是热心)。如果失去这个的话,我想写小说的意义也不存在了吧。