悲しいときに悲しみ、泣けるときに泣く
悲伤的时候就悲伤,能哭的时候就哭泣
質問:
去年の今ごろ息子を病気で亡くしてから好きだった読書も音楽も虚しくなってしまいました。でも年末にやっと「女のいない男たち」を読みたい気になれました。まだ2話しか読めていませんが、「木野」がとても良かったです。最後に木野が泣いた時、私も自分のいる場所が少しだけ分かった気がしました。これからも悲しむべき時に悲しんでいいように思えました。
そんな風に思えたことが嬉しかったので、この機会にお礼を言いたくてメールさせていただきました。村上さん、ありがとうございます。
去年的这个时候儿子因病去世,从那之后喜欢的读书和音乐都变空虚了。不过年末的时候终于有兴趣想看「没有女人的男人们」。虽然还只是读了两章,不过「木野」非常不错。最后木野哭的时候,我也感觉对自己所处的位置多少明白了。感觉以后悲伤的时候尽情地悲伤也挺好的。
因为很高兴能这样想,想利用这个机会道谢所以写了这封邮件。村上先生,谢谢您。
回答:
息子さんのことはとてもお気の毒です。本当にお力落としことと思います。
この話の主人公の木野は、最後の最後まで自らの感情を抑えつけています。というか、感情が外に出すことを拒んでいるうちに、感情を開く方法そのものを忘れてしまっています。でも自分の暗い内部から、恐怖が蓋を開けてずるずると這い出てきたとき、彼はようやく心を開き、涙を流すことができます。そういう話だと僕は考えています。
小説を書き始めたときには、木野がどういう人なのか、僕にもさっぱりわからなかったのですが、書いているうちにだんだん彼のことが理解できるようになってきました。泣けるときには、とにかく泣けるだけだけ泣いてしまうことも大事ですよね。
まだ先は長いです。お元気でお暮らしください。
儿子的事情实在太让人悲伤了。真的是无能为力的事情。
这篇文章的主人公木野,一直到最后的最后都在压抑自己的感情。或者说,在拒绝感情外泄的过程中,不知不觉忘了打开感情的方法。不过从自己的黑暗内心开始,恐怖把盖子打开滑溜溜地爬出来的时候,他终于能打开心窝,流泪。我想是这样一个故事。
在开始写小说的时候,木野是什么样的人,我完全是不知道的,不过在写的过程中,渐渐地变得能理解他。能哭的时候,无论如何,只能哭的时候,仅仅只是哭也是很重要的。
前路还很长。请保重好好生活。