村上春树-《村上さんのところ》

翻译|「《村上さんのところ》- 时间能解决什么呢?」

2016年11月16日

「時」は何を解決してくれますか?

时间能解决什么呢?

質問:高校一年の男子です。最近、進路や自分が大人になったらとか、将来のことをいろいろ不安に思ったりしているのですが、結局「時」が解決してくれるという結論に達します。

一体「時」というのは何を解決してくれで、はたまた何を解決してくれないのでしょうか。我是高一年级的男生。最近,带着各种各样的不安在思考升学,自身,成为大人,以及未来的事情,结果是得到了「时间」能给予解决的结论。

究竟「时间」能解决什么,或者说时间不能解决的是什么呢。

回答:

すごい根源的な質問ですね。

答えのがたいへんむずかしいです。だから答えのをやめちゃおうかと思ったんだけど、そういうことではいかんと思って、こうしてがんばってメールを書いています。「時」というのは何を解決してくれて、はたまた何を解決してくれないのか(はたまた、というのが素敵です)。

時間って目にみえません。

そうですね?だからたとえば猫さんには時間という観念がありません。時間は目で見えないし、匂いも嗅げないから。でも人間には時間というものが観念としてわかります。一本の線みたいにして図表的に考えるからです。たとえば横書きにした歴史年表を思い浮かべてください。左の方が昔で、右の方が現代になっている。一定方向に時間は流れている。でも時間って、線じゃないんですよね。人間が無理に、わかりやすいように、線のかたちにかえているだけです。だから本来は猫さんのほうが正しいです。時間なんて、かたちも匂いもないものです。そう思うと、僕らは本当は猫さんたちみたいに暮らしていくのが良いのかもしれませんね。そうすれば過去とか未来とかについて、あれこれ思い悩む必要もありません。

でも今さらそうもいきません。もうこうなっちゃっているんだから。だから僕らは過去を悔んだり、未来を不安に思いながら人生をいきていきます。疲れるよね。だから僕は思うんだけど、きみもどこかに猫みたいなところをちょっと残しておくといいんじゃないかな。普通はかちんと時間に従っていきていく。でも、何か都合が悪くなったら、「あれ、猫だからじかんのことなんてわかんねえ。過去も未来もねえや。」みたいに適当にまわりをはぐらかして、開き直って生きていく。これしかないですよ。

はたまた、僕もわりにそうやって生きてきたような気がします。にゃあ。

真是了不起的极具本质性的问题呢。

要给答案真的很困难。所以有想过放弃给答案了,不过这种事是不行的,于是下功夫写下这封邮件。「时间」可以解决什么,或者不能解决什么呢(或者,这样说太棒了)。

所谓时间,用肉眼是看不到的。

是啊?举例来说对于猫时间这样的观念是不存在的。因为眼睛看不到时间,也闻不到它的气味。不过,对于人类时间这样的观念是了解的。可以考虑成是像一条线一样形成的图表。例如,请想象横向写成的历史年表。左边是过去,右边是现在。时间朝着一定的方向流动。不过时间,真不是线哦。人类只是无理地,为了易于理解,而把它变成线的形状。所以,原本猫那样才是正确的。所谓时间,没有形状也没有气味。如此想来,我们也许像猫一样生活的话可能会更好。这样一来,关于过去或者未来,就没有必要为这个那个的想法而烦恼。

不过事到如今已经不行。因为已经变成现在这个样子。所以,我们是一边悔恨过去,一边想着未来的不安而生活。真是疲累啊。所以,我的想法是,你的什么地方也稍微安放着残留下来的与猫类似的东西也是挺好的。平常就好好地跟随着时间过日子。不过,如果不方便,就「啊、因为是猫所以对时间一无所知,对过去和未来也是」这样适当巧妙地甩开周围,径直去生活。只能这样了。或者,意外地感觉我就是一直这样生活的。喵。