自分に正直に生きている気がしない
感觉不到自己在诚实地生活
質問:
自分に正直生きる、というのはどういうことでしょうか。
たとえば、私は会社勤めの雑誌編集者なのですが、職業上、初めて会った人たちと調子よく話したり、興味ないことにも興味あるように振舞ったり、自分の思うことと雑誌の方向性の違いを飲み込んでだり、自分に正直に生きている気がしないんです。
ただの世慣れた人みたいな。自分に正直に生きるとは、どんな職業でも可能なことなのでしょうか。
自己诚实地生活,是怎么一回事呢。
例如,我是在公司上班的杂志编辑,职业上,要顺利地与初次见面的人说上话,或者对没有兴趣的事物要像有兴趣一样行动,或者要理解自己想的东西与杂志的方向性不一致,却感觉不到自己在诚实地生活。
就只是像善于在城市里生活的人一样。自己在诚实地生活,是不是任何职业都有可能呢。
回答:
人はみんな、それぞれに役柄を与えられて生きています。その役柄をこなすことと、自らに正直であることは必ずしも一致しません。というか、一致しないことのほうが多いかもしれません。人は多かれ少なかれ、その不一致をうまくすり合わせながら生きています。でもときどき、そのすり合わせに疲れてしまいます。それはよくわかります。
じゃあ、自分に他にどんな役柄の選択肢があるのか?普通の場合、あまりないですよね、たぶん。だとしたら、与えられた役柄を不足なくこなしている自分をできるだけ客観てきにテクニカルに評価し、愛する(あるいはいとおしむ)様につとめるしかないんじゃないでしょうか。それを一つの個人的達成として捉えるというか。自らに正直な自分だけを愛していると、人生はいささか薄く、一面的になっていくんじゃないかという気がしなくもない。僕にいえるのはそれくらいです。いや、私はそんなすり合わせに終始する生き方はいやだ、もっと自分に正直に生きたいと言われたら、僕にもなんとも言いようはありません。それはまったくの正論ですから。
所有的人都是因应赋予给各自的角色而生活的。要扮演这个角色,就一定与自己诚实的那一面不一致的。也就是说,也许不一致的情况会多一些。人或多或少,都要恰当地一边与这个不一致相互磨合的一边生活。但是有时候,也会对这个磨合感到疲惫。这个是非常能理解的。
那么,对自己来说还有其他什么样的角色选择呢?一般情况下,并没有那么多,大概。如果是这样,就必须在客观性上技巧性地评价自己尽可能足够娴熟地做好赋予的角色,以及尝试爱上(或者说喜爱)那样去努力。或许这能捕捉作为一个个人的目标。如果自己仅仅爱着诚实的自己,人生稍微有点浅薄,感觉就会变得片面。我能说的只有这些。不,我由始至终都不喜欢这样相互磨合的生活方式,如果有人对我说想要更加诚实地生活,我实在没有什么可说的。这是真正的正论。