『村上さんのところ』ー 村上春樹
安西水丸さんとの懐かしき日々
与安西水丸先生令人怀念的日常
注:
Peter Cat是村上春树先生以前开的爵士喫茶店的店名
安西水丸先生是村上春树先生多本著作的合作插画师,2014年3月19日,71岁的安西水丸先生因脑溢血去世
ジモトマサル先生是这本『村上さんのところ』的合作插画师
質問:
読者との直接交流サイト、再開としていただいてありがとうございます。1998年と2006年に2,3度お返事いただきました。ありがとうございます。
このサイトの再開はうれしかったですが、最初に拝見した率直な感想は、水丸さんのイラストではない寂しさでした。もちろんフジモトマサルさんのイラストも暖かくて味わいがあるとは思うのですが、もう水丸さんのイラストを見られないんだなって改めて感じました。
いろいろなところで水丸さんについては語られているとは思いますが、一つ教えてください。水丸さんとの最初の出会いはピーターキャットだったのですか?その時の水丸さんに対する印象はどのようなものでしたか?どのような経緯で親しくなられたんでしょうか?
谢谢重新开通与读者直接交流的网站。谢谢1998年与2006年给予的2,3次回复。
高兴于这个网站的重新开通,最开始见到时坦率的感想是,因为看不到水丸先生的插画而感到寂寞。当然我觉得ジモトマサル先生的插画也有温暖的趣味,只不过再一次感到已经无法再看到水丸先生的插画。
虽然在很多地方讲述过关于水丸先生的事情,不过请教一件事情。与水丸先生的第一次的相遇是在Peter Cat吗?那时候对水丸先生有什么样的印象呢?有什么缘由而变得亲密起来呢?
回答:
水丸さんは僕が小説家としてデビューしたころに、店にときどき見えていたと思います。おうちが店のわりに近くだったので、散歩のついでに寄ったみたいでした。うちの店は、僕が小説家になる前から、なぜか作家や編集者がお客としてよく出入していたので(そういえば中上健さんも村上龍さんも見えたことがありました)、水丸さんと初めて会ったのが作家デビューの前だったかあとだったか、よく覚えてません。でもいずれにせよ、当時水丸さんはまだ平凡社の社員で、あくまで副業でイラストを描いておられました。
僕は嵐山光三郎さんと水丸さんと糸井重里さんが一緒にやっていた、雑誌「宝島」の「チューサン階級ノトモ」が大好きで、以前から水丸さんのファンでもあったので、わりにすぐ仲良くなりました。その少しあとで水丸さんは会社を辞め、独立してイラストレーターになりました。「社長に辞表を出してさ、「お世話になりました」って頭を下げて、ちょっと言い忘れたことが、あって戻ろうとしたら、社長があとずさりして辞表をさっと隠すんだよね。きっと取り返したきたかと思っただね」と笑っておられました。慰留はまったくされなかったそうです。社長の気持ちもわかるけどな(笑)。
水丸さんについてはとんでもない話がほんとにいっぱいあるのですが、残念ながらここにはとても書けません。
水丸先生在我作为小说家出道的时候,时不时能在我的店铺见到他。因为他的家与我的店铺意外地近,好像散步就会顺便过来。我的店铺,在我成为小说家之前,不知为何,经常有作家或者编辑都作为客人来往。(这么说来中上健先生和村上龙先生都见过),与水丸先生的第一次见面是在作家出道之前还是之后,不是记得很清楚了。总之,当时的水丸先生还是平凡社的职员,始终以副业的形式画插画。
我非常喜欢嵐山光三郎先生与水丸先生与糸井重里先生一起办的杂志「宝岛」的「チューサン階級ノトモ」,因为以前就是水丸先生的粉丝,意外地马上变得和睦相处。后来不久水丸先生从公司辞职,成为独立的插画师。「给社长递交辞呈的时候,低着头说「承蒙您的关照」,稍微忘记说的话,正打算回头的时候,社长后退了几步迅速把辞呈藏起来。想着他一定想取回吧」说着笑了。好像丝毫没有想过要挽留。不过社长的心情是能明白的。
关于水丸先生不着边际的话真的有很多,不过遗憾不能在这里写。