到了冬天,市面上就会上一款苹果——冰糖心苹果(阿克苏苹果)。嗜甜的我只能说但愿这款苹果全年都有。它真的出奇的甜。尽管样子长得不甜美,也总是一副灰扑扑的样子,然而它真的很甜。刚刚刨一个苹果的时候,刚刨开一点皮,就看到透明般的甜汁要漏出来的样子,我还把苹果拿近看,以为苹果是坏的,谁知它都甜出皮了。它知道自己有多甜吗。
吃过冰糖心苹果,感觉其他苹果都不甜了。每回一个冰糖心苹果吃下肚,免不得怀疑体内的糖分是否也增加了不少。然而,这是无法抵抗的事情。走进水果店,只要看到有冰糖心苹果,我都只选它了。
说到甜,也能令人联想到文字的甜。譬如一个人对另一个人表达的深切的甜甜的爱意。光读着文字,就感觉甜甜的意思都漏出纸面了。
凑巧般,在川端康成的随笔集里,当他写堀辰雄的事情时,引用了一段文字,是堀辰雄在考虑与自己喜欢的人喜结连理的时候写下的话,在此放一下——
「自分に好きな人が出来てもその人にもう夢中になって逆上せあがるような事もない代わり、その人の性格や才能の好いところも悪いところも恐らくその人自身と同じ位に知った上で、その人を本当に静かな気持ちで好きになっていられるのです。僕が君を愛している気持ちもそれに近いものです。どうかそういう僕の気もちをわかってくださって、僕の中の君のすがたに君自身も安心して下さい。……
——僕は元来、いろいろ本を読んできたせいか、人生に対してかなり懐疑的で、ともすれば生きていることの不幸を信ぜさせられて来ましたが、その時から僕は人間の幸福——少なくとも誰でも幸福な瞬間を持ち得るものだということを、少し逆説的にいうと、みんなの持っている不幸の最高の形式としてそういう幸福を持ち得るということを信ずるようになりました。……」