突然想到一个事情,一个歌手或者是一个乐队,他们自己就是自己的品牌,很少能有继承者。当传奇封存的时候,后人用无数的时间和努力缩短与他们渐渐远去的天与地之间的距离。那个距离,很缥缈,也很微妙,一念之间,可长可短。
所幸,歌声长存。无论何时,何地。
『村上さんのところ』ー 村上春樹
28)悪しき物語に対抗するために
为了与坏故事对抗
質問:
地下鉄サリン事件からまもなく20年です。
改めて「アンダーグラウンド」「約束された場所で」を読み返してみましたが、20年経った今も、多くの問題を投げかけていると感じました。「アンダーグラウンド」は、また全部読み通してしまいました。今読んでも、感動します。その中の何人かの声に触れると涙が出ます。「約束された場所で」は、今読んでも、いろいろな意味で頭を抱えて考え込まされます。
村上さんは、当時「悪とは何かずっと考えてきたが、まだよくわからない」とおっしゃっていましたが、現在、悪について、何らか新たな見解に達していさっしゃったら、少し教えて頂ければうねしいです。
また、麻原や少年Aのように「純粋な悪というか、悪の腫瘍みたいなものがわっと結集して出してくる場合があるような気がします」と書かれていますが、そういうものに対しても、「新たな物語」を社会に提出し続けてゆくことがもっとも有効な対抗策とお考えでいらっしゃるでしょうか?
从地下铁沙林毒气事件以来就快20年了。
我重新阅读「地下铁事件」「约束的场所」,虽然已经过去了20年,感觉它映射出很多的问题。「地下铁事件」至今还没有完全读完。即便现在读来,仍然感动不已。被里面好几个人的心声触动到流泪。「约束的场所」,即便现在读来,对各种各样的意思还是摸不着头脑,沉思苦想。
村上先生,当时说过「一直在思考恶是什么东西,可仍然不清楚」,如今,对于恶,有没有得到一些新的见解呢,如果能告知一点点的话会非常高兴。
另外,像麻原或者少年A那样被写成「说到纯粹的恶,感觉就像恶的肿瘤一样的东西一下子聚集起来出现的场合」,即便是对于这种东西,是否认为持续不断地向社会提出「崭新的故事」是合理的有效的对抗策略呢?
回答:
悪しき物語に対抗するには、善き物語を立ち上げていくしかないという考えには、今でもまったく変わりはありません。論理に対抗する論理にはどうしても限りがあります。論理対論理は地表の戦いでさり、物語対物語は地下の戦いです。地表と地下がシンクロしていくことで、本当の効果が生まれます。自分の物語を、できるだけ「善き物語」(決して論理的にgoodということではありません)に近づけていきたいというのが、僕の一貫した気持ちです。
我认为与坏的故事对抗的是,除了好故事以外别无其它,一直到现在也基本没有改变过。伦理对抗伦理,无论如何都有其局限。伦理对伦理是地表的战争,故事对事故是地下的战争。地表与地下同步进行的话,才能产生真正的效果。自己的故事,要尽可能向「好的故事」靠近,这是我自始至终的感受。