日文翻译

翻译 | 川上弘美 – 短篇小说集《ぼくの死体をよろしくたのむ》的部分内容

2019年4月23日


如此,翻译某些段落,是为了记住自己看过的印象深刻的片段。


《ずっと雨が降っていたような気がしたけれど》/《感觉雨一直在下》

本のコレクターは、同じものを三冊買うと聞いたことがある。

もう一つは、本棚に並べておくためのもの。

そしてもう一つは、奥深くしまっておくためのもの。

あたしはコレクターではない。だから、買うのは、二つ。

一つは、実際に使うためのもの。

そしてもう一つは、喪失に備えるためのものである。

曾听闻,书的收藏家会买三本一模一样的书。

一本是实际拿在手上读的;

另一本是放在书架上摆着的;

最后一本就是把它收藏在最幽深的地方。

我不是收藏家。所以,我只买两本。

一本是实际会使用的。

另一本是用来有备无患的。

そんなに、あたしは恋人を見ていなかっただろうか。そうかもしれない。見つめて見つめて、そしてそのひとにすっかり捕らわれてしまったあとで、そのひとを喪失してしまったら、いったいどうしたらいいのか。

就这样,我大概找不到恋人吧。或许吧。找啊找啊,终于被这个人完全俘虏以后,一旦这个人消失了,该如何是好呢。

《儀式》/《仪式》

世界には天罰を与えられるべき人間がもっとたくさんいるかと思われるかもしれませんが、なに、わたしが天罰を与えなくても、自然の撮理でそのような者たちが痛い目にあうことも、多いのです。正義は勝つ、という言葉を、人間はしばしば口にしますが、人間が思っているよりもずっとその言葉は有効なのです。ああ、もちろん「正義」ということの定義は、曖昧なものではありますけれど。

虽然认为这世界上应该有更多的人需要受到天罚,什么,即便我不给予天罚,因自然的摄理之类的东西而遭罪的也大有人在。正义必胜,人时不时把这种话挂在嘴边,但是这句话比人想得还要有用。啊,当然,“正义”的定义,不是暧昧的。

人間というものが、いかに不思議な生物なのかが、自己啓発ものを読むとよくわかるような気がします。

人这种东西,究竟是多么不可思议的生物呢,感觉只需读自我启发类的东西就能很好掌握了。

もしも人間のことがすっかり隅から隅までわかってしまったら、もしかするとわたしはもう天罰を与える気持ちにもならないかもしれませんし、儀式をおこなって魂の呼びこえを聞きとめる事もしなくなるかもしれませんから。

如果从头至尾毫无遗漏地了解了人,或许我就会失去给予天罚的心情,也不会举行仪式倾听灵魂的呼喊了。

《お金は大切》/《金钱至上》

不思議な顔の子だった。きれい、とか、きれいじゃない、とかいうのとは、ちょっと範疇が違う感じ。たとえば、草と人間をくらべることはできない。草がきれいなのかきれいじゃないのか、ひとくちには言えない。そういう感じで、その「和田」という女の子が、きれいなのかきれいじゃないのか、一口には言えない、というような。

那是不可思议的人。要说漂亮,还是不漂亮,感觉与这范围有些差异。譬如,草和人是不可以相提并论的。草是漂亮的还是不漂亮的,无法一言蔽之。就是这种感觉,这个称为“和田”的女孩,是漂亮的还是不漂亮的,也无法一言蔽之。

僕たちは、踊りに踊った。しだいに僕は和田さんと一体化してゆくようなこころもちになった。まるで、生まれた時から和田さんと踊りつづけていて、これから先もずっと踊ってゆくに違いない、というような。

我们在跳舞。实际上我感觉自己与和田融为一体了。如同,自出生之时起我就与和田一起跳舞,从今此后也会继续跳舞一样。

《ルル秋桜》

「自分と同じ性別の人しか好きになれない生まれつきの人のことをいうのよ」

あたしはさっきより、もっと感心した。生まれつきの人って、ほんとうにいい言葉だ。それならあたしは、生まれつき死体が好きな人なのだ。

「どうして死体が好きなの?」

「静かで、悲しそうだから」

“生来就只能喜欢与自己同性别的人说的。”

比起刚才,我还要感到佩服。生而有之的人,说得太好了。如此,我就是生来就喜欢尸体的人。

“为什么喜欢尸体呢?”

“安静,悲伤。”

あたしは絶望した。絶望、という言葉は、少し前に杏子ちゃんから教わっていた。人生には、絶望する時が何回かやってくるのだそうだ。もしその言葉を知らなかったら、きっとあたしは、実りの意地悪や、お母さんがぜんぜんあたしのことをわかってくれないことに、耐えられなかっただろうと思う。

我绝望了。绝望,这种话,是前不久杏子教会我的。好像说,人生里面会有好几次绝望的时候。若是我不懂这句话,我肯定无法忍受见津(暂译)的刁难,还有妈妈对我的彻头彻尾的视而不见。

まだこの先の人生は長いんだなあと、あたしはぼんやり思う。絶望は、あといったい何回くらいやってくるんだろう。でもまあいい。昨日、死体がもう一人増えたのだ。名前は、ルル秋桜。

往后的人生还长着呢,我漫无边际地想着。绝望,今后或许还会有好几次吧。不过也好,昨天,又增加了一具尸体。名字是ルル秋桜。

《ぼくの死体をよろしくたのむ》/《我的尸体,有劳了》

父は、弱い人間だった。

爸爸是软弱的人。

父の弱さに、あたしも母もとても困らされた。父にまとわりついている「弱い空気」のようなものは、ただ父を弱らせるだけでなく、母をも弱らせた。元来、母は明るくて屈託のない人間だ。けれどその母が、父と一緒にいると、みるみる食欲をなくし、やせ、静かに滅入ってゆくのだ。

爸爸的软弱,让我和妈妈都极为困惑。爸爸身上笼罩着的“软弱空气”,不只是让爸爸变得软弱,也让妈妈变软弱了。本来,妈妈是开朗且心安理得的人。但是,妈妈与爸爸在一起后,就变得食不知味,消瘦不堪,无声无息地走向衰亡。

弱いっていうことは、とても強いことなんだな。

软弱这东西,还是挺厉害的。

父が生きていたころ、あたしはそう思っていた。

爸爸活着的时候,我就是这么想的。

父は、なんかいか自殺未遂をおこした。母は泣いた。あたしも悩んだ。そして結局、父は死んだ。

爸爸试过几次自杀未遂。妈妈哭泣不止。我也很苦恼。最终,爸爸死了。