私はもう死んでいるよ。東京のひと、私の名前は遠くへとんでいけるけれど、私はもう、死んでいるよ。どこかへ閉じてしまって、溶けて川と海になっているよ。愛して、という言葉が私を通り過ぎて、山の上にもぐりこんでいく。夜の色でくるんだご飯を、ほおばりが死んだとして、それに気づきことも出来ないのに、優しさという言葉が優しく、きみを形容してくれる。
「死をことが優しさの証明になるから、
みんな殺し合いをするのかなあ。」
ニュースにならなかった事故や事件はいったんどこにいくのだろう。
私のすれちがってきた人のうち、どれだけがむごく死んでしまったのだろう。
平和って好きね。
お紅茶のにがみがおいしいのは、きっとそのおかげね。
わたしもきみも心が優しい。だから、心優しいコオロギみたいに、
今日もお通夜に参列します。愛とか夢とか言っていたら、美しく優しくなれた気がする。たくさんの人が死んでいくけど、私たちには関係がないね。
我已经死了。东京的人,虽然我的名字能跳到遥远的地方,但是我已经,死了。向着某个地方封闭起来,融化以后变成河流与大海。我爱你,这种话在我身旁倏忽而过,潜入到山上。在夜色里来到的饭食,作为死去的望月种子,尽管意识不到,你还是用温柔这种话温柔地给我形容着。
“如果死能成为温柔的证明,
那么所有人都会互相残杀吧。”
没有成为新闻的意外或者事件究竟去了哪里呢。
在与我擦肩而过的人当中,有多少人已经死了呢。
我喜欢和平。
红茶的苦味竟然是美味的,一定是这个原因吧。
我和你的心都是温柔的。所以,就像心地善良的蟋蟀一样,
今天也去灵前守夜。一旦说爱或者梦想,感觉就会变得美丽与温柔。虽然很多人会死,但那跟我们都没有关系。