日文文章

文 | 「約束することはいりません」

2017年12月7日

四日続くと日本語で日記を書いたということは、ちょっど不思議な感じがしました。これはその前に全然考えられないのことも言えるんです。これから、どうすればいいんですかと自分に聞いてみました。一日一篇はどうですか。でも、一日一篇というと、何を書けるということはだんだん重要になりますじゃないですか。何も書けないというときもあるんじゃないですか。もしここで自分と何を約束したら、しかしこの約束の結果が達成できないたら、結局まるで自分でこの約束を壊しまうみたいですね。やっぱりそういう約束は怖いですね。
それによって、私は普通約束ということがあまり言いません。自分で毎日こつこつとある程度の書きたいもの分をしっかりして書きます。毎日何かを書けるということ自体がうれしいですが、だから、なるべく一定の時間をととめて静かにして日記を書きます。でも、もしある日、時間がないからどうしても書けないという時があったら、ちゃっど悔しいの感じがしますが、この日は書きませんと決めます。でも、この書きたいだなとういう気持ちはずっと心に漂ってみたいですね。まるで一つのこころづけであるの存在です。翌日、また適当な時間を見つけて、書きたいものを一気に書こうと思います。
私にとって、いろんなことが自分の心に黙々として決めたという感じがします。歩いているときとか、バスにのるときに、さまざまなことを考えられます。考えたあと、ある決定をすることができます。どうすれば仕事は順調することができますかとか、どうすれば時間を節約することができますかとか、どうすれば日記の書き方を変化することができますかとか、それらのことはいつも頭のなかに、繰り返して出てきます。少しずつの変化でも、仕事にとって、また自分の生活にとっても、何かの役に立てます。このような態度はすこく大切だと思います。
一つの習慣を形成されたということはいったいどのくらいの時間をかかりますか。少なくとも21日間はかかるということは誰かから言ったことがあります。でも、私にとって、時間によりは、このことをするときに自分がどうのように感じているのはいちばん重要です。嬉しいとか、安定感とか、満足感とか、それらの気持ちさえあれば、自分はこの中に夢中することができます。いったんこの状態に入ったら、もう時間を忘れてしまいました。このような気分の影響で、自分は自動的に物事を行うことができます。知らず知らずに、この習慣が形成されました。その点からみえば、約束することはいりません。
今まで日本語で物事を書いたことがあまりないです。でも、この数日の体験によって、私はこのことの面白さをあらためて感じができました。この体験は新鮮だからこそ、一言一句を丁寧に検視するようにかかなければならないですけど、まるで自分の気持ちがひとつひとつ丁寧に検視されましたというような感じがします。だから、物事を書いたと同時に、自分の気持ちもう大切にされましたということです。そういうのは日本語で日記を書くことの楽しみです。
この間、ずっと黒いコーヒーを飲んでいますが、いま、なんだか1杯のラッテが欲しいですね。